ながおの妊娠をきっかけに仕事を退職してから
育児したり、もう一回出産したり
海外に引っ越したり
日本に戻ってきたり
そしてまた海外に引っ越したり
再び日本参上したり


そんなことをしていたら
気がついたら専業主婦歴が12年になってたわ。



20代後半で仕事を辞めた時は
まあ、数年後にはまた働くんだろうな
って思ってたから
まさかあんなに長く専業主婦をやるとは
思ってもみなかった。



人生ってわからないものよね!




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子供たちが小さいうちは
子育てで精一杯だったから
働かないのも仕方ないかな
って思えてたけど



つぐおが学校に行きだしてからは
昼間1人っきりで家にいて
特にやることもなくやりたい事もなく
毎日が日曜日なのが日に日にしんどくなった。



副腎疲労が治って元気になったのも
すごく大きかった。
体が動くのに働かない罪悪感とか。







幸いお父さんが働き者だから
お金には困らないありがたい生活だったけど



人の稼いだお金を消費するだけの日々じゃない?
大好きな服もカバンもワインも
全部、何一つとして自分のお金で買えない。



贅沢な話かもしれないけど
お母さんにとってそれってすごく
つまらなかったし
虚しかったし
しんどかった



せっかく健康になったのに
働けるのに



大嫌いな主婦業しかやることがなくて
外の世界にひたすら憧れるだけの日々。



オハイオでの暮らしは
最高にエキサイティングだったけど
そこに関しては
専業主婦生活の最後3年間くらいは
爆発しそうなほどストレスだったわよ〜。



2018年の一時帰国の時、
新宿3丁目の地下鉄で見た
通勤中の人々が
眩しくって羨ましくてたまんなかったわ。



旅行に行っても
船の切符を切ってる人とか
シュノーケルのインストラクターとか
現地の働く人たちが
毎日通勤してる姿を想像しては
素敵だなぁって思ってた。



だからオハイオからの帰国が決まった時
すごーく寂しかったけど
それと同時に



お母さんもやっと働けるんだ!
って、とっても嬉しかった。



でも
働きたい働きたいって言ってるけど
お母さんはコレといって
輝けるキャリアなんてないのよ。



若い頃の職業はざっくり言うと
Webコンテンツを作ったりする
ITのはじっこの仕事をしてただけ。



それでも
大好きだったのよねぇ。
Webサイト作ったり文章書いたり
バナー作ったり。。。。



そういう作業が大好きだから
仕事にはならないけど
このブログを書いてみたり
40ちゃんねる作ってみたり
してたわけ。



とは言え、
もうそういう業界で働くのは
不可能なのはわかってるから
仕事を探す時に職種を選ぶ気は
最初からなかったわ。



自分にできそうな事なら
なんでもいい!
とにかく、早くお母さんも
あの新宿駅で見た人たちみたいに
背中に人生の哀愁を背負って
社会の歯車になりたい!



って逸る気持ちを抑えられずに
帰国して3ヶ月後には
夢を叶えて派遣社員として働き始めちゃったもんね。



そして一年経った今
あの新宿三丁目駅を毎日電車で通過してる。



疲れた背中に、派遣で働いて
初めてもらったお給料で買った
お気に入りのバッグを背負ってね。



年収200万しか稼いでないけどッ
働いたからといって
ぜんぜん贅沢はできないけどッ



でも、今自分で働いたお金で買う
1本600円のワインが
毎日最高に美味しいわ!



自分で働くって決めて
働く場所を自分で探してきて
自分で選んだ靴と洋服を
自分の稼いだお金で買う。



当たり前のことかもしれないけど
今のお母さんにとってそれが
何よりの幸せよ!



つまり、健康と自由って
素晴らしいってこと!



最後まで読んでくれてありがとう(*´∀`*)



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