無事転職が決まったお母さん。
ここでようやく冒頭の、会社で震度3の
衝撃展開になったわけだけど
お母さんは、社長と野口さんに
伝えたいことがあった。
社長はドン引きするほど
極度乾燥スーパードライだったけど
忘れもしない出会った日、
帰国後に15年ぶりに働きに出た
マジでなにもないお母さんを
経歴不問な上、秒で即決してくれたのよ。
そんで
野口さんは鬼軍曹みたいに怖かったけど
どんなにお母さんの覚えが悪くても
絶対に見放さなかった。
何十年もこの業界で
真面目にひたむきに頑張ってる姿に
いつも引っ張ってもらってたわ。
同じ女性として尊敬してた。
お母さん二人にはずっと感謝しかなかった。
だから、退職が決まって二人に挨拶したときも
そう伝えたのよね。
二人にとってお母さんは
数十年の中のほんの1年半
一緒に働いただけの派遣社員かもしれないけど
お母さんにとっては
不安だらけだった社会復帰を助けてくれた
人生の恩人よ。一生忘れないわ。
って
そんな感じの事を
会議室で二人に話したのよね。
そしたら二人とも、
1ヶ月後に退職していくお母さんを
快く見送ってくれるって言ってくれたのよ。
そんで新しい仕事の事を聞かれたから
「こんな私に、
希望どおりの仕事がきまって
ほんと奇跡っす。
一生分の運を使い果たしました。デヘデヘ」
って言ったらね、
鬼軍曹野口さんが
「ううん、わかるよ。
お母さんなら、わかるよ。」
なんて、まるで生き別れた姉のような顔で
言ってくれちゃってさぁ、
泣いたもの。心で。
あーた、
そんな風に思ってくれてたなら
今までの鬼具合なんだったん?
そのギャップにも涙するっつーの。
社長もさぁ、
最後まで迷惑かけどおしのお母さんに
「いいんだよ、そんなことより
お母さんの人生のほうが大事だよ。」
とか言うの。
なに?なんなの?
二人共本当はお母さんいなくなるの
大歓迎だったってオチじゃないでしょうね?
はーどうぞどうぞ、
とっとと出ていってくださいよ(*^^*)
ってことなんじゃないでしょうね?!
※自己肯定感の低い人の思考回路はこんなもんです
いつから世の中
こんなにあったかくなったの?
別れが寂しくなるからやめて頂戴(´;ω;`)
胸がぎゅってなるじゃない。。。
と、言うわけで
すっきりと(?)退職も決まったところで
今度は仕事の引き継ぎ開始よ!
お母さんがやってたのは
事務の仕事だったんだけど
マニュアルもなければルールもない、
強いて言えば
野口さんがルール
っていう仕事だったのよね。
それを野口さんが1年半かけて
お母さんに一子相伝してくれたわけだけど
お母さんはずっと感じてた。
もし、お母さんが辞めたら
野口さんはまたこれを
新しい人にイチから教え直すの。。。?
そして新しい人は
野口さんの頭の中にだけあるルールを
毎日必死に書き留めながら
午前中鬼軍曹みたいな顔してる野口さんに
チビリながら質問するの?
そんなのお互い地獄すぎる!
ってことで、実は働き始めて半年経った頃から
野口さんの脳内を少しずつ文書化して
マニュアルをつくってたのよね。
そんで、昭和のまま時が止まった
事務作業をオート化すべく
エクセルで色々と作っといたのよ。
この時のためにね。
まあ、お母さんの能力なんて知れてるから
たいしたもんんは作れなかったんだけど
これまでの昭和を考えたら
令和までは行かないけど、
平成にはなんとか追いついたんじゃないかしら?!
そんなお母さん渾身の品々を
「野口さん、これ良かったら使ってください」
って、野口さんに渡したら
彼女ってばすごく喜んでくれて
お母さんもうれしくって
めでたしめでたし(*´Д`*)
で、終わると思ったら
喜んでくれただけじゃすまなかった。
「あんたこんなのできるんだったら、
これもやってあれもやって!」ってなって
その日から退職する日まで
もっと言うと、退職する瞬間の
10分前まで
ひたすら他の業務のマニュアル作り
文書作り、エクセルのシート作りを
山盛りてんこもりに頼まれたわ!
これまでの穏やかな日々が
嘘のように怒涛の仕事量が出現。
勤務時間中にやりきれない分は
家に帰ってから作ったりもしたわ。
もうすぐ新しい仕事を始めるというのに
そんなこと考える暇も与えられなかった。
最後の1ヶ月は
渋谷で買い物したり
気になってたお店でランチしよーっと(*^^*)
なんて思ってたのに
マジで毎日消耗しすぎて
結局最後まで
はなまるうどんと博多天神しか行けなかったわ。
まあ最高だからいいんだけどっ
そんな感じで
最後の最後まで走り抜いた
むしろ最後に全力疾走して
大好きな渋谷の日々に最後の日が訪れた。
次回最終回、お母さんやらかします。
ここでようやく冒頭の、会社で震度3の
衝撃展開になったわけだけど
お母さんは、社長と野口さんに
伝えたいことがあった。
社長はドン引きするほど
極度乾燥スーパードライだったけど
忘れもしない出会った日、
帰国後に15年ぶりに働きに出た
マジでなにもないお母さんを
経歴不問な上、秒で即決してくれたのよ。
そんで
野口さんは鬼軍曹みたいに怖かったけど
どんなにお母さんの覚えが悪くても
絶対に見放さなかった。
何十年もこの業界で
真面目にひたむきに頑張ってる姿に
いつも引っ張ってもらってたわ。
同じ女性として尊敬してた。
お母さん二人にはずっと感謝しかなかった。
だから、退職が決まって二人に挨拶したときも
そう伝えたのよね。
二人にとってお母さんは
数十年の中のほんの1年半
一緒に働いただけの派遣社員かもしれないけど
お母さんにとっては
不安だらけだった社会復帰を助けてくれた
人生の恩人よ。一生忘れないわ。
って
そんな感じの事を
会議室で二人に話したのよね。
そしたら二人とも、
1ヶ月後に退職していくお母さんを
快く見送ってくれるって言ってくれたのよ。
そんで新しい仕事の事を聞かれたから
「こんな私に、
希望どおりの仕事がきまって
ほんと奇跡っす。
一生分の運を使い果たしました。デヘデヘ」
って言ったらね、
鬼軍曹野口さんが
「ううん、わかるよ。
お母さんなら、わかるよ。」
なんて、まるで生き別れた姉のような顔で
言ってくれちゃってさぁ、
泣いたもの。心で。
あーた、
そんな風に思ってくれてたなら
今までの鬼具合なんだったん?
そのギャップにも涙するっつーの。
社長もさぁ、
最後まで迷惑かけどおしのお母さんに
「いいんだよ、そんなことより
お母さんの人生のほうが大事だよ。」
とか言うの。
なに?なんなの?
二人共本当はお母さんいなくなるの
大歓迎だったってオチじゃないでしょうね?
はーどうぞどうぞ、
とっとと出ていってくださいよ(*^^*)
ってことなんじゃないでしょうね?!
※自己肯定感の低い人の思考回路はこんなもんです
いつから世の中
こんなにあったかくなったの?
別れが寂しくなるからやめて頂戴(´;ω;`)
胸がぎゅってなるじゃない。。。
と、言うわけで
すっきりと(?)退職も決まったところで
今度は仕事の引き継ぎ開始よ!
お母さんがやってたのは
事務の仕事だったんだけど
マニュアルもなければルールもない、
強いて言えば
野口さんがルール
っていう仕事だったのよね。
それを野口さんが1年半かけて
お母さんに一子相伝してくれたわけだけど
お母さんはずっと感じてた。
もし、お母さんが辞めたら
野口さんはまたこれを
新しい人にイチから教え直すの。。。?
そして新しい人は
野口さんの頭の中にだけあるルールを
毎日必死に書き留めながら
午前中鬼軍曹みたいな顔してる野口さんに
チビリながら質問するの?
そんなのお互い地獄すぎる!
ってことで、実は働き始めて半年経った頃から
野口さんの脳内を少しずつ文書化して
マニュアルをつくってたのよね。
そんで、昭和のまま時が止まった
事務作業をオート化すべく
エクセルで色々と作っといたのよ。
この時のためにね。
まあ、お母さんの能力なんて知れてるから
たいしたもんんは作れなかったんだけど
これまでの昭和を考えたら
令和までは行かないけど、
平成にはなんとか追いついたんじゃないかしら?!
そんなお母さん渾身の品々を
「野口さん、これ良かったら使ってください」
って、野口さんに渡したら
彼女ってばすごく喜んでくれて
お母さんもうれしくって
めでたしめでたし(*´Д`*)
で、終わると思ったら
喜んでくれただけじゃすまなかった。
「あんたこんなのできるんだったら、
これもやってあれもやって!」ってなって
その日から退職する日まで
もっと言うと、退職する瞬間の
10分前まで
ひたすら他の業務のマニュアル作り
文書作り、エクセルのシート作りを
山盛りてんこもりに頼まれたわ!
これまでの穏やかな日々が
嘘のように怒涛の仕事量が出現。
勤務時間中にやりきれない分は
家に帰ってから作ったりもしたわ。
もうすぐ新しい仕事を始めるというのに
そんなこと考える暇も与えられなかった。
最後の1ヶ月は
渋谷で買い物したり
気になってたお店でランチしよーっと(*^^*)
なんて思ってたのに
マジで毎日消耗しすぎて
結局最後まで
はなまるうどんと博多天神しか行けなかったわ。
まあ最高だからいいんだけどっ
そんな感じで
最後の最後まで走り抜いた
むしろ最後に全力疾走して
大好きな渋谷の日々に最後の日が訪れた。
次回最終回、お母さんやらかします。
コメント
コメント一覧 (9)
以前、私も派遣です。と、投稿した者ですが、その時のハンドルネームを失念しました。すみません。
私も40歳を超えたら、いろいろ考え、正社員とか考えてますが、お母さんの初期の転職活動と同じ感じで、全くうまくいってません…。
お母さんは、きっと能力プラス一緒に働きたい!と、思わせる何かがあるのだろうな〜、なんて、思ってます。
ウメさん
ありがとうございます!
ウメさんも派遣仲間ですね。アラフォー派遣は将来がかなり不安になりますよね。。。
3年問題がとっても重いです!
転職活動は私もすごく大変でしたよ〜。エージェントの人は、諦めなければ必ず最後はお仕事が見つかります。って言ってました。でも精神的にきっついですよね(;´Д`)
面接で自分をアピれるっていう面では、若い人たちよりもアラフォーのほうが図々しさでリードしてるって思ってるんですがどうでしょうかw
ウメさんの転職のご報告待ってますよ!
泣かせる社長、泣かせる野口さん、お母さんの心情ももまた泣かせる!
こういう、表に出てる感情や評価のは氷山の一角mという感じが日本の押し付けがましくない義理人情って感じでいいですよね。
最後に怒涛の業務ぶっこみ、最後まで仕事きっちり鬼軍曹をやり切る野口さん、好きです。
そのひとくせもふたくせもある会社、お母さんみたいにしっかりしててガッツある方が来てくれて良かったですよ!
そしてお母さん、ご希望のお仕事との出会いおめでとうございます!
どんな環境でも立ち止まらず、道を切り拓くお母さんだから勝ち得たご縁ですよね。
私はどんどん社会人としてのブランクが伸びてどんどん自信を失ってたとこですが、帰国後はお母さん目指してがんばります!
続きもお待ちしてまーす
しじみさん
ありがとうございます!
野口さんみたいな人の魅力って、大人になるとわかりますよね。しじみさんにも伝わってうれしいです!
まさにおっしゃる通り、あのクセ強い会社は私がぴったりだったと自負しています。というか、図太ければどこでもやっていけるってことがわかりましたw
新しい仕事は本当にご縁を感じています。「今の自分にふさわしい場所に行き着く」っていう思いがいつもあるのですが、恐縮ながらもまさにそんな感じです!
駐在妻をやってると、社会復帰への不安は年月とともに募りますよね。すっごくわかりますよ〜(;´Д`)
でもきっとしじみさんも帰国後はふさわしい場所に辿り着くはずです!
楽しみですね(*^^*)
おかあさんのバイタリティ凄いなあ。と既にこたつをセッティングしたミシガンから拝見しています。
博多天神!!私東京勤務時そこでよく食べていました。福岡で色々食べていますが博多天神にコスパ共々勝るものなし。です。一時帰国時も行きました。はー、食べたい。
おかあさん、良い会社見つかって本当におめでとうございます。
またの更新、お待ちしています!
ミシガンの田舎からさん
ありがとうございます(●´ϖ`●)
こたつみかんでくつろぎながら見世物として楽しんでいただけると光栄です!
えーミシガンの田舎からさんも博天ラブですか?!本場博多を知っていながらもあそこを認めておられるとはなんかすごい嬉しいです!
私は20代のころから博多天神が大好きで、今も一番好きなラーメン屋なんですが、渋谷の汚い博多ラーメンがこんなに美味しいってことは、本場博多に言ったらどうなっちまうんだべ!ってずっと思ってて、コロナが終わったら博多とんこつのために博多に行きたいって考えてたんですけど、こりゃ渋谷で良さそうですw
新しい仕事はリモートワークなので、どんな報告ができるのか未知ですが、また見に来てくださいね〜!
実家が渋谷から二駅の所にあったのですが、親が生まれ故郷に戻ると福岡へ。
泣く泣く遊び場所を渋谷から天神に移動しました。(友人は皆東京。涙)
天神滞在時、めぼしいラーメン屋行きましたが今のところ
博多天神が一番美味しいです。
福岡にないのでわざわざ数日上京した時の貴重な一食が博多天神という感じです。
おかあさんもたまには博多天神へ食べに行ってください。また美味しそうな写真アップお願いします。キクラゲ増しが好きです。(今だと麺少なめキクラゲ増し増しがいいのかも。でも替え玉したい)
ミシガンの田舎からさん
東京の大都会から九州の大都会へ引っ越し、そしてミシガンの田舎在住ってジェットコースター系人生ですねーwじっくりお話聞いてみたいです。
ほんとに本場の天神よりも博天のほうが美味しいと言う驚きの証言!
いや、そうじゃないかなとは思ってました。これより美味しいラーメンなんて存在しないって。20年前から思ってましたよ!
そう!キクラゲましなんですよね!
帰国した際には必ずご一報を。博天部を作って博天のハシゴしましょう。
是非〜!!
20年前から通われてたのですね。では被っていますね〜
私もそのくらいから昼に夕に深夜に通っていました。
待ち合わせ場所は勿論博多天神ですね!
感染者も減ったし帰国しやすくなってほしいです。